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極楽浄土を信じられるか 02 

今のお寺に行っても、華麗な阿弥陀堂や金色の阿弥陀仏がある。ところが、なぜそれほどに極楽往生を願ったのかが、今ではよくわからなくなってきた。
これは「人生は一度きり」「楽しく自分らしく」「個性尊重」などとよく言われるようになったことの影響が大きいと思われる。いわゆる死生観から「死」が抜け落ちて、もっぱら「いかに生きるべきか」が問われるようになった。
そして、いよいよ親やきょうだいが死にゆくときにも、「いい人生だったよね」と慰めたり、「きっと病気は治るよ」と、心を現世に引き戻すような無用の元気づけをしたりする。
1960〜70年代の大きな社会変動以前には、そういう慰めだけではなかった。
のときには、家族や親族が集まって、死に水をとった。水を含ませた綿を唇につけたりする風習で、看取りの文化のひとつだった。臨終に立ち会うことは親族の重い義務であり、親の死に目に会えないなどいうことは大きな不孝として強く戒められていた。
 その看取りのときには、「先に逝って待っていてね」などと声をかける。先に亡くなった祖父母やきょうだい、あるいは幼く死んだ子の名をあげて、「向こうでみんな待っているよ」と言ったりし、死にゆく人の心を来世に向けたものである。(つづく)

「極楽浄土を信じられるか1」へ
(大角修)

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