FC2ブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

極楽浄土を信じられるか 03 

 かつて、看取りのときには、「先に逝って待っていてね」「向こうでみんな待っているよ」と言ったりし、死にゆく人の心を来世に向けたものである。
 はたして、来世というものがあるのかどうか。それはわからない。けれども、「向こうに行けば安らかだよ」と語りかけることが重要であった。また、阿弥陀仏の手から糸を引いて、その人の手に結びつけるといった臨終の形もあったのである。
 そうした看取りの文化が生きていた頃には、もしも来世というものがあるのなら極楽浄土に生まれたいと願うのが当然だった。

 このような来世観が大きく失われた今日、人生の意義はもっぱら現世に求められる。それが「人生は一度きり」「楽しく自分らしく」「いい人生だったと満足して死にたい」といった言葉になる。
 しかし、「楽しく自分らしく」といっても、そもそも自分は何者であるのか。どうあれば楽しいのかは、よくわからない。趣味とか遊び、仕事や奉仕活動に精一杯打ち込めば、それが楽しく自分らしいことになるのだろうか。
(つづく)
「極楽浄土を信じられるか1」へ
(大角修)

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ookadoosamu.blog10.fc2.com/tb.php/233-dbc70691

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。