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極楽浄土を信じられるか 04 

 来世観が大きく失われた今日、人生の意義はもっぱら現世に求められる。それで「いい人生だったと満足して死にたい」と願うのだが、問題は、「いい人生だった」と思いたいところにある。

 自分の死が近づいたときに、「いい人生だった」と思える人は、はたしてどれくらい、いるだろう?
 私などは「あんなことをしなければよかった」「あのときにもう少し頑張っていれば」というようなことが数知れない。別の人生があったのではないかとも思われる。これからよほど気持ちを改めても、「いい人生だった」と思えるようになるにはほど遠い。

 もし、「いい人生だった」と心から思える人がいるなら、それは最高に幸せな人生だといえよう。
 しかし、それは誰の評価なのか。もしかしたら、周囲の人には自分勝手で困った人だと思われているかもしれず、本人は気づいていないということのほうが多いのかもしれない。

 そうだとすれば、その人は自己中心的であって、強引さもはなはだしく、自分は満足な人生だと思う心にストレスや悩み・苦悩をかかえているだろう。
 だから、個性的で私らしく「いい人生だった」と思えというのが強迫観念にも近くなった今、それは不幸のもとでもある。

 しかし、極楽浄土が信じられた頃には、必ずしもいい人生でなくてもよかった。

「極楽浄土を信じられるか1」へ
(大角修)

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