平安貴族の少年たちの念仏会 

浄土信仰といえば来世にのみ望みをかける厭世的な信仰だと思われがちだが、現実には来世ばかり考えて生きるようなことはありえない。何より法会(ほうえ)は楽しい催しだった。

浄土信仰は平安中期に都で盛んになった。その象徴的な出来事が藤原道長の法成寺の建立である。その阿弥陀堂は九体の阿弥陀像を祀るもので、子の頼通が造った平等院鳳凰堂より大きな仏堂だった。法成寺の広大な境内には他に薬師堂、大日堂などがあった。また、東北と西北の区画に、それぞれ別の阿弥陀堂が建てられた。

 西北院は道長の正室倫子が発願して境内の西北隅に西北院を建立し、治安元年十二月に落慶法要をおこなった。観音・勢至菩薩を脇士に置く阿弥陀三尊を安置した三間四面、檜皮葺の簡素な阿弥陀堂だったが、落慶には盛大な法会が営まれた。清らかな少年の僧たちによって不断念仏が修されたことが『栄花物語』巻第十六「もとのしづく」に記されている。

 御堂(西北院)の有様、仏いとおかしげにて、三尺ばかりにて阿弥陀仏、観音、勢至おはします。仏具どもえもいはずうつくしうせさせたまへり。(中略)やがて三日三夜、不断の御念仏、山(比叡山)の御念仏のさまをうつしおこなわせたまふ。
[以下意訳]
 十二歳から十五歳までの者を選んで、比叡山の西塔・東塔・横川、興福寺、仁和寺、三井寺(園城寺)から、おのおの召された。法師でも、世に知られた人(貴族)の子でない者はよばれなかった。(中略)

御法事が終わって御念仏が始まると、この僧たちが参り集まった美しさは限りなかった。

(小法師たちは道長が与えた宿直姿で十五人を一組とし、四組が交代で不断念仏を開始した)

御念仏が始まり、堂をめぐって読経・念仏するようすは、しみじみ尊く思われる。法会に結縁参集の聴衆は長床(本殿から伸ばした部分)に控え、高僧たちもそれぞれの弟子の小法師を可愛いと微笑んで見ている。(中略)美しく尊いさまは地蔵菩薩もかくやと思われる。(中略)

 そうして三日が過ぎ、それぞれ布施の目録をいただいて帰るときには誰もが名残を惜しんだ。

 以上は拙著『浄土三部経と地獄・極楽の事典』より


 不断念仏とは日数を決めて特別の念仏を修する法会である。ここには子を出家させた親たちが我が子の晴れ姿を見ようとする姿が描かれている。

 貴族の子らは幼児期に出家しても、実家との縁は切れず、独特な関係を保った。日本の仏教の大きな特質のひとつである。

(大角修)

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