宮沢賢治はなぜ鎌倉に行かなかったのか 

鎌倉賢治の会に呼ばれて、昨日、行って来ました。演題は「宮沢賢治はなぜ鎌倉に行かなかったのか」です。

賢治は大正10年(1921)25歳の年に無断上京して日蓮主義の信仰団体・国柱会の活動に参加しました。そのころ、友人の保阪嘉内に、今や自分の身命は日蓮聖人のものだというような手紙を出しています。

ところが、日蓮ゆかりの寺院、いわゆる霊跡寺院を賢治が訪れた形跡がまったくないのです。賢治が東京で暮らした文京区・台東区の近くでは千葉県市川市に中山法華経寺がありますが、どうも参拝した形跡がない。池上本門寺にも身延にも。これは一般の法華信者とは明らかに距離のあることです。

鎌倉は日蓮ゆかりの寺院がたくさんあります。しかし、そのようなわけで賢治は鎌倉にも行かなかったと思われます。

それはともかく、鎌倉賢治の会によばれたおかげで、賢治と法華経について改めて考えてみる機会になりました。それで「法華堂建立勧進文」を改めて読んでみました。

これは「勧進文」としては具合の悪い文書なのですが、いかにも賢治らしい文で、若い賢治の意気込みが感じられます。今回からしばらく、このブログ上で「法華堂建立勧進文」を読んでいきたいと思います。

身照寺建立一件「法華堂建立勧進文」1へ

ところで、鎌倉は葉桜の季節を迎えていましたが、八重桜は満開。鶴岡八幡宮の牡丹も満開でした。

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賢治誕生小 悪人列伝小
「宮沢賢治の誕生」「イーハトーブ悪人列伝」
(大角修)

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