『古事記』と『日本書紀』 

『古事記』と『日本書紀』は、どちらも奈良時代初期に勅命をうけて編まれた。

『古事記』は712年完成、『日本書紀』はその8年後の720年の完成である。どちらも太初から始まるが、後半の帝紀(天皇の年代記)が大きく異なる。『古事記』は第33代推古天皇(在位593- 628年)までで帝紀は簡略。それに対して『日本書紀』は第41代持統天皇(在位690- 697年)までを語り、もっぱら帝紀の記述に力点がある。

そのため『日本書紀』は、つづく『続日本紀』『日本後記』など古代の六国史の最初に置かれることになる。また、江戸時代の国学によって『古事記』が再発見されるまで、日本の歴史は『日本書紀』に始まるものであった。

その『日本書紀』で大きく記されているのが聖徳太子の事績である。『古事記』には王子の1人としてわずかに名が出る程度の聖徳太子が『日本書紀』では冠位十二階の制定、憲法十七条の布告などが詳しく記されている。このギャップが大きいために「聖徳太子は実在しなかった」という説まである。

聖徳太子が実在したかどうかはともかく、国家の正史として聖徳太子の事績が求められたという事実がある。また、第41代持統天皇による壮大な都の建設をもって古代の日本は大きな区切りを迎えたのだった。


都の建設については『万葉集』に「壬申の乱が平定したあとの歌二首」がある。次はその一首。

大王は神にしませば水鳥の すだく水沼を皇都となしつ

「大王(天皇)は神なので、水鳥が群れる沼地でさえ立派な都にされている」というのだが、逆に壮大な皇都の建設を通して大王は神になったのだった。


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(大角修)

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