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都と道教の四神 

文武天皇五年(701)の元日、藤原京の朝廷で元旦の儀式(朝賀)がおこなわれた。以後毎年のことになる。そのもようが『続日本紀』に次のように記されています。
 
天皇が大極殿に出御して官人の朝賀をうけた。正門に烏形の幢(旗)をたて、左(東側)は日・青龍・朱雀の幢、右(西側)は月・玄武・白虎の幢をたて、蕃夷の使者が左右にならんだ。

これは中国の朝賀の儀式にならったもので、日本の遣唐使も中国の朝廷では「蕃夷」の列に並んだ。「蕃夷」とは周辺の民をいい、大和朝廷では隼人と蝦夷を並ばせた。帝国の証である。


朝賀


7本の旗を立てたようすを『新・日本の歴史』では上のイラストで示した。天皇は大極殿の高御座(たかみくら)に坐し、文武百官が左右にわかれて列して、人皇初代の神武天皇以来の歴史を語る祝詞が唱えられた。その神武天皇のしるしが中央の八咫烏、左右に中国・道教の東西南北の守護神(四神)、そして日月の旗が立つが、仏教の旗はない。

藤原京には天皇の大極殿に匹敵する巨大さで大官大寺(のちの大安寺)が建立されていたが、仏教は内裏からは排除されていた。皇居は神々を祀る神社でもあったからだ。

この神と仏の緊張は、奈良時代の道鏡事件などを引き起こすことになる。

ちなみに藤原京は内裏は東西南北の大路の中心に造られていた。そのうち南方の大路が朱雀大路で、のちの平城京や平安京では朱雀大路のみになる。

藤原京
1巻後60-61

☞「新・日本の歴史」シリーズについて
全巻目次

第一巻「国の成り立ちと仏教伝来」08 ☞01へ ☞09へ
(大角修)

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