大宝律令の神祇 

日本で初めて元旦の朝賀☞都と道教の四神が行われた文武天皇五年(701)は3月に「大宝」建元。8月には「大宝律令」が完成し、いわゆる律令国家の建設が本格化する。

律令は中国に学んだものだが、中央官制には最高官庁として太政官と並んで神祇官がおかれた。神祇官の設置は日本独自のものである。

「大宝律令」にも「神祇令」という20条の規則が定められ、天神地祇の祭祀は神祇官が統制することになった。

当時、まだ神道の教義は成立していない。「神祇令」には祈年祭にはじまる一年の行事や日常の祭り、天皇の即位のときの祭礼の式次、その費用をだす「神戸」についての規則が定められている。

宮中の祭祀で重要な役割をもったのが中臣と忌部という氏族だった。たとえば、皇位をうけつぐ践祚の日には中臣が「天つ神の寿詞」を読みあげる。それは今の神社でも神主がとなえる「大祓詞(中臣祓詞)」のようなものだったと思われる。「高天原に神留まり坐す皇が親神漏岐神漏美の命以て八百万神等を神集へ……」と高天原の神々からつづく天皇の徳をたたえるのが中臣氏で、代々その地位を引き継いだ。

ちなみに、神祇官は地方の神社の名や由来を調べて「神名帳」という名簿を作成した。それは平安時代まで続いて中断したが、明治政府による国家神道によって復活し、全国の神社に官幣・国幣の序列が設けられた。

大宝律令と神祇令の定め
1巻p62-63 第1巻p64-65


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(大角修)

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