FC2ブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「文学部」消滅の危機、貧すれば鈍するか 

文科省が国立大学の「文学部」を大幅に縮小する方針を出した。限りある財政・人材資源を工学・農学・医学のような役に立つ分野にシフトするということである。

貧すれば鈍するという言葉通りの視野狭窄。

奈良・京都の寺社など、それがなかったら奈良も京都も存在しないほどの巨大な力は、いわゆる実学的視点では役に立たないものから生み出された。今は国をあげて「おもてなし」の観光立国などと言っているが、もしもお寺も神社も祭りもなかったら、まったく魅力の乏しい国になるし、そもそも人間が暮らす場所ではなくなってしまう。

そうした「文」の力がなかったら、おそらく科学技術も成り立つまい。なのに、文学部は縮小一途だ。

これには文系の研究者に「文」の気概がないことも影響していよう。「素養を養う幅広い教育が失われる」といった懸念は表明されているけれど、「文学部のない大学なんか、大学とは言えない」というくらい強く言わないところが情けない。

もうだいぶ前から、文学部ではなく「人間科学部」というような、意味不明の学部名が増えてきた。「人間」という言葉で人気を惹こうという魂胆が見え見えだが、そもそも「人間」という言葉に私たち日本人が何を込めてきたのか、それが追究されているとは思われない。

私たち日本人は「人間」に「善」を見る。千年の歴史をへて培われた感覚だ。「新・日本の歴史」シリーズの巻を追ってブログに書いていくつもりだが、日本人の人間観に大きく影響したことを2つの時代からピックアップする。

仏心と本覚法門(第3巻『武士と新仏教の誕生』より)
歴史3巻p08-09  歴史3巻p10-11 クリックで拡大します。

「人」になる道(第5巻『江戸時代と日本人の心』より)
歴史5巻p64-65  歴史5巻p66-67


☞「新・日本の歴史」シリーズについて
全巻目次
☞著作リスト
(大角修)

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ookadoosamu.blog10.fc2.com/tb.php/265-e5301659

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。