古墳から寺へ 

冠位十二階の制は聖徳太子と蘇我馬子が協力してつくった。血筋による姓(臣・連など)によらず才能や実力のある人を朝廷の役職につけるといいながら、実際には蘇我氏による他氏排斥に利し、蘇我氏の専横が強まった。

そのためか、推古天皇十三年(605)10月、聖徳太子は蘇我氏の根拠地の飛鳥をはなれて斑鳩(奈良県斑鳩町)にうつった。その斑鳩に太子が建立した寺が法隆寺である。蘇我氏の法興寺(飛鳥寺)にたいして「法隆寺」と名づけたと考えられている。

そのころから、権力者の威勢は高い塔をもつ寺院の伽藍によって示されるようになった。日本最初の大伽藍が蘇我氏の法興寺(飛鳥寺)である。

塔は仏舎利(その代替品の水晶など)を納めて建立されるが、飛鳥寺五重塔の基部の跡からは古墳の副葬品に多い勾玉が発掘されたそうである。それは権威・権力をあらわす王権の象徴が古墳から大寺院の伽藍へと変化したことを示している。

四天王寺と飛鳥寺の建立

歴史1巻p36-37  歴史1巻p38-39

☞「新・日本の歴史」シリーズについて
全巻目次
第一巻「国の成り立ちと仏教伝来」11 ☞01へ 12へ
(大角修)

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ookadoosamu.blog10.fc2.com/tb.php/267-39797b40