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聖徳太子の「三経義疏」と在家仏教の始点 

聖徳太子の事績に「三経義疏」の撰述がある。そのうち、『勝鬘経義疏』については母の穴穂部間人皇女ために後の橘寺の地で説いたと伝えられ、女人救済の教えとされるが、女人救済の前提として大乗菩薩道があり、「三経義疏」の3つの経典はどれも在家の救済を重視されている。

ところが、どうも日本史の研究者は経典をあまり読んでいないように思われる。日本史の本では、大人向きのもの、仏教史の本においてさえ、経典はほとんど引用されていない。

それでは仏教が理解されるはずもない。「新・日本の歴史」シリーズでは、かいつまんだ抄訳ではあるが、経典の中身を紹介するようにした。

ところで、平安時代には聖徳太子への崇拝が高まり、日本の釈迦、日本の教祖と仰がれるようになるが、日本仏教の始点に置かれた聖徳太子が出家の僧ではなく、在家の信徒であったところから、日本は世界に例のない「在家仏教」の国になり、僧でも結婚するのが当たり前になった。

その歴史を知るためにも、「三経義疏」の3経典の在家主義が重要である。

聖徳太子の「三経義疏」と片岡山伝説

歴史1巻p044-045  歴史1巻p046-047 画像はクリックで拡大。

☞「新・日本の歴史」シリーズについて
全巻目次
第一巻「国の成り立ちと仏教伝来」12 ☞01へ 13へ
☞「経典を読む・勝鬘経1 王妃シュリーマーラーの誓い 」
(大角修)

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