FC2ブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日蓮以前の法華曼荼羅 

日蓮は文永8年(1271)に佐渡に流罪となり、その地で大曼荼羅本尊を初めて書きあらわした。自らの意志で書いたというより、本尊を感得した最初ということで、それを佐渡始顕の大曼荼羅という。

しかし何事にも前史がある。平安時代には法華曼荼羅が描かれるようになった。それは法華経の二仏(釈迦・多宝如来)が坐す塔を中心とするが、構図は胎蔵曼荼羅の中台八葉院と同様である。

法華曼荼羅

まんだらp58 画像はクリックで拡大します。


法華曼荼羅は『源氏物語』の「鈴虫」の帖にも出る。光源氏は正室に迎えた女三宮の出家の願いをいれて、持仏堂を造り、仏像や仏具を整えた。その奥に法華曼荼羅が架けられた。

しかし、平安時代のことだから、法華と念仏は一体である。持仏堂の本尊は阿弥陀三尊で白檀の木彫だった。

光源氏は女三宮が読誦する阿弥陀経1巻を自ら書写し、来世には共に極楽浄土に生まれることを願った。そのほか、六道の衆生のために六部の経(阿弥陀経)をこしらえたという。

なお、下部をドーム状の半球型にする多宝塔の形は密教に影響し、真言宗寺院にも多い。そのぱあいは釈迦・多宝の二仏ではなく、大日如来や薬師如来が本尊として中央に置かれることが多い。高野山の壇上伽藍の大塔も下の写真のように多宝塔型で大日如来を中心に曼荼羅の諸尊が納められている

高野山の壇上伽藍

まんだらp80

表紙と目次
まんだら絵解きカバー まんだらp2目次

発行・双葉社 A5判128ページ 定価1500円+税
☞amazon

まんだら絵解き図鑑11☞1へ
(大角修)

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ookadoosamu.blog10.fc2.com/tb.php/282-998e05b3

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。