FC2ブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宮沢賢治の曼荼羅本尊 

日蓮の曼荼羅をとりあげたついでに宮沢賢治の曼荼羅本尊について。☞「日蓮の曼荼羅を絵解き」

賢治は24歳の大正9年(1920)10月か11月ころ、法華信仰団体の国柱会に入会。翌年1月には上京して8月頃まで、その活動に参加した。それは進路に悩んだ時期であり、友人の保阪嘉内あての手紙などには過激な法華信仰が見られる。この時期の賢治については『「宮沢賢治」の誕生 そのとき銀河鉄道の汽笛が鳴った』で論じた。

その後、花巻に戻ってからは過激な法華信仰の主張はなくなるが、国柱会から与えられた大曼荼羅は生涯、自身の本尊として持しつづけた。

宮沢賢治の大曼荼羅本尊
賢治曼荼羅
(http://kankyo-iihatobu.la.coocan.jp/index.htmlより)

この曼荼羅は現存しない佐渡始顕の大曼荼羅(☞「日蓮の法華経」参照)の写しだと伝えている。書き込まれている文字は他の大曼荼羅と同じだが、大きく異なる特色がある。

上部に、左右振り分けの形で「若人有病得聞是経」「病即消滅不老不死」と書き込まれている。読み下せば「もし人、病あり、この経(法華経)を聞くを得れば」「病は即ち消滅し不老不死なり」となる。

日蓮は数多く曼荼羅をあらわして弟子や信徒に与えた。そのなかで、この文字をもつ曼荼羅がどれくらいあるのか。法蔵館の『日蓮聖人真蹟集成』で調べたことがある。

収録120点ほどの曼荼羅のうち、この文字があるのは確か3点か4点ほどだった。レアな例である。おそらく、自分か家族が重い病気で苦しむ弟子か信徒を励まして授けた本尊ではないかと思われる。

賢治は、若く病死した妹のトシを悼んで「永訣の朝」「無声慟哭」などの痛哭の詩をつくったほか、賢治自身も結核で肺を病み、37歳で没する。

賢治は病気に苦しみつづけた。ところが、本尊に記された「若人有病得聞是経」「病即消滅不老不死」の言葉については何も語っていない。

なお、賢治の曼荼羅は後に宮沢家が日蓮宗に転宗するにあたって仏壇の本尊として祀られ、今日に至る。そこには父親の政次郎の思いをしのばせる証言がある。次回、触れたい。


☞過去記事「宮沢賢治と仏教1」

著書『「宮沢賢治」の誕生 そのとき銀河鉄道の汽笛が鳴った』へ
  『イーハトーブ悪人列伝 宮沢賢治童話のおかしなやつら』へ


賢治誕生小 悪人列伝小
(大角修)

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ookadoosamu.blog10.fc2.com/tb.php/287-720fb9d2

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。