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宮沢賢治の曼荼羅本尊2 

宮沢家は真宗大谷派安浄寺の門徒だった。賢治が法華経に帰依してから、父の政治郎と激しく言い争うことがあったという。

この父子の争いは、浄土信仰と法華信仰の教義論争の観点から論じられていることが多いけれど、教義で激しく争うようなことは、あまり考えられることではない。

親戚の関徳彌によれば、国柱会から届いた大曼荼羅本尊を賢治は経師屋に注文した掛け軸で賢治自身が表装し、仏壇に勧請した。「その日の読経や式の次第は実にりっぱで、後に控えている私はそのりっぱさに感動したものです」(関『賢治随聞』)ということだが、そのりっぱな読経の声は、階下の家族を困惑させた。

 また、賢治は十二月には寒修行と称して花巻の夜の街を「南無妙法蓮華経」と高らかに唱題して歩いた。ある夜、政次郎が関の家に来ていたときに雪道を歩いてくる賢治の「南無妙法蓮華経」が聞こえてきた。政次郎は「困ったことをするものだ」といって眉根を暗くしたという(関『同』)

こうしたことに加えて、賢治が父に家の転宗を迫ったことが対立の一番の理由になっただろう。

転宗となれば、先祖代々の菩提寺との縁を切ることになり、親戚とのつきあいも変わる。盆・彼岸の行事や年忌法要の習わしも変わり、仏壇も取り替えねばならない。宮沢家の墓は菩提寺の安浄寺にあったので、それも移転する必要がある。そうした実際のくさぐさが非常にやっかいだ。

これは信仰がどうのという問題ではない。息子が転宗を言い出したりすれば、家長たる父親が怒らないほうがおかしい。政次郎も激しく怒ったようだが、父は「困ったことをするものだ」と関が書き伝えているように、暗然たる気分だったというほうが近いだろう

さらに、宮沢家の困惑は2つの仏壇にあっただろう。1階で父ら家族が「南無阿弥陀仏」ととなえれぱ、賢治が2階で「南無妙法蓮華経」ととなえる。そんな事態が生じたのである。

そして賢治の没後も、宮沢家には2つの仏壇がある状態が続いた。以下、次回。


☞日蓮の法華経

☞宮沢賢治の曼荼羅本尊
賢治曼荼羅

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  『イーハトーブ悪人列伝 宮沢賢治童話のおかしなやつら』へ


賢治誕生小 悪人列伝小
(大角修)

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