仏式の葬儀を望んだ明治の皇族 

天皇・皇族の葬儀は飛鳥・奈良の昔から仏式で行われてきたが、明治の神仏分離以後、神道式になった。

神仏分離は作家の司馬遼太郎が「明治国家初期の最大の失政」(『明治という国家』)と評しているように歴史と伝統に大きな断絶を生んだのだが、もちろん、そこにも理由があり、そこに至る経過があった。それについては近著『天皇家のお葬式』第5章「尊王の潮流 王政復古への道」で書いたので、いずれ、このブログにも載せたい。

神仏分離令は維新政府がまだ年号が慶応のうちから出した一連の布告で、神仏判然令ともいう。それによって天皇はもちろん、皇族や政府高官は神葬祭を行うことになったのだが、1000年以上も続いた仏法の供養をしないことへの不安は強かった。

明治31年、83歳で薨去した山階宮晃親王は、葬儀はすべて仏式で執り行ってほしいという遺書を遺したが、それを政府は許さず神葬祭となった。ただし、遺体は天皇の菩提寺だった京都東山の泉涌寺雲龍院の境内に埋葬された。墓所だけは生前の願いのとおりに寺院につくられたのである。
猫の兄弟と一緒に山階宮晃親王墓
寺院の山内だが、鳥居がつけられている。この界隈には皇族の墓がたくさんある。(写真はネット「猫の兄弟と一緒に」より)


その後、明治天皇の大葬も大正天皇の大葬も、その時代を映してさまざまなことが見られた。

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天皇のお葬式2
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