皇室の菩提寺だった泉涌寺 

京都東山の泉涌寺は、西国三十三観音札所の今熊野観音寺のそば、泉涌寺にも楊貴妃観音堂があることから訪れる人が多い。この寺は御寺(みてら)と呼ばれる天皇・皇后の菩提所だった。

明治維新の神仏分離で御所にあった仏間・御黒戸(おくろど)から歴代天皇の位牌と肖像画が移され、今も皇族方や財界有志が加わる護持会がある。 

泉涌寺には帝王陵とよばれた区画に四条天皇を最初に後水尾天皇から仁孝天皇まで14人の天皇が土葬され、皇后を含めて25陵、5灰塚、9墓が営まれている。
泉涌寺名所図会画像はクリックで拡大
江戸時代の泉涌寺(都名所図会より) 右端に「帝王陵」と記されている。

泉涌寺月輪陵・後月輪陵

月輪陵看板
月輪陵・後月輪陵に宮内庁が立てている制札。ここに埋葬され25人の天皇・皇后の名が記されている。

陵といっても古墳のような墳丘ではなく、石の九輪塔が立ち並んでいる。墓は親王ら皇族の墓である。灰塚については泉涌寺が皇室の菩提寺になる前段階を表すものなので別途述べる。☞12人の天皇の遺骨を納めた深草北陵

月輪陵ネット
月輪陵・後月輪陵の内部
立ち入り禁止の区域だが、築地塀の側の山道から見える。その道も立ち入り禁止で、入口の扉に鍵がかかっているのだが、手で簡単に外すことができる。宮内庁には本気で立ち入りを禁じるつもりがないらしい。なので、内部を撮った写真がたくさんネットにある。その1枚を引用させていただく。


古事類苑・月輪陵
古事類苑にある月輪陵・後月輪陵 古事類苑は明治時代に編まれた百科全書だ。そこに内部の絵がある。


明治以降は泉涌寺の境内から分離して宮内庁の所管となり「月輪陵・後月輪陵」と呼ばれている。それとは別に泉涌寺の裏山に「後月輪東山陵」がある。それは幕末の孝明天皇陵で、古墳のような墳丘が築かれた。この陵は幕末の尊王運動を表す特別のものなので近著『天皇家のお葬式』で1章を設けた(第6章「山陵の復活と孝明天皇陵 古代神話の再生」)
☞幕末に復活した古代の墳丘・孝明天皇陵


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