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尊王攘夷論は江戸時代中ごろに国史への関心が高まって生まれた 

忘れられていた『古事記』が再発見され、古代神話が復活した。(『図解・天皇と皇室入門』より)

図解天皇p72-73

水戸学と国学
尊王(尊皇)意識が高まってきたのは江戸時代の中ごろからでした。それには2つの流れがあります。水戸学と国学です。

水戸学は今の茨城県水戸市の徳川家でおこりました。2代藩主の徳川光圀が国史の編纂をはじめて以来、水戸徳川家では連綿と国史を研究し『大日本史』という長大な史書を編みつづけ、江戸時代後半には藩校の弘道館を中心に尊王論が発達しました。藩校は儒学によって、主君への「忠」を家臣の子に教えることを主とします。「忠」の直接の対象は藩主、さらには将軍なのですが、将軍が天下を治める大義は天皇から政治をあずかっていること(大政委任)に求められました。水戸は徳川将軍家の中核の御三家のひとつですから、その影響は全国におよび、藩校の弘道館には各地の藩から武士が訪れました。長州の吉田松陰も薩摩の西郷隆盛も水戸を訪れました。

江戸中期には町人などの民間でも歴史への関心が高まり、国学とよばれる学問が生まれました。その代表的な学者が伊勢松坂(三重県松阪市)の医師、本居宣長でした。宣長は『古事記』を研究し、松坂に開いた私塾(鈴屋)で門弟に教えました。それによって、ほとんど忘れられていた『古事記』が再発見され、高天原の神々にはじまる神話が復活しました。そして平田篤胤らによって復古神道も生まれました。日本では神仏習合し、伊勢神宮の天照大神も仏の化身だといわれるようになっていたので、仏教が伝わる以前の神々のまつりを復旧しようというのが復古神道です。

攘夷論の高まり
水戸学は儒学を重んじ、国学は儒学も外国のものだとして否定する違いはありましたが、天皇中心の歴史観、いわゆる皇国史観に立つこと、仏教は排除することでは共通でした。何より重要な共通点は、仏教が伝来する以前の日本は純粋な神々の国(神州)で、天皇をいただいている以上は今も日本は神州だということでした。そこに「尊王攘夷」という考え方が生まれました。

「攘夷」とは「夷人(外国の野蛮な人々)を追い攘う」という意味です。19世紀にロシア、アメリカ、イギリスなどの船が次々に来航して日本に開国を求めるようになると、異国船が近づいてきたら沿岸で打ち払うべきだという攘夷論が高まりました。外国人の上陸をゆるして神州日本の国土を穢させてはならないというのですが、当時は西洋の国々が競争してアジアにも植民地を拡大していた時代です。それに対する恐怖や不安も攘夷論を高めたのでした。


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