法華経と宮沢賢治1 

近著の『全品現代語訳 法華経』で3か所で宮沢賢治について触れた。
まず[コラム]道場観と宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を順次アップしたい。

全品法華経大 『全品現代語訳 法華経』

「如来神力品」のうち313ページの「即是道場」の部分の経文は「道場観」とよばれ、とりだして読誦される。

当地是処 即是道場(トオチイゼイシヨオ ソクゼエドウジヨウ)
諸仏於此 得三菩提(シヨオブツオーシイ トクサンボーダイ)
諸仏於此 転於法輪(シヨオブツオーシイ テンノウホウリン)
諸仏於此 而般涅槃(シヨオブツオーシイ ニーハツネエハン)

 ここでいう道場は修練の場所のことではなく、釈迦の成道の地ブッダガヤの金剛宝座(ブッダガヤ大塔の下にあり、今も世界の仏教徒が参詣するところ)を原点とする諸仏のさとりの場である。それは時空と生死を超えて今この場にあるという。曹洞宗の開祖=道元(一二〇〇〜一二五三年)が臨終のときに唱え、みずから壁に記したのも、この部分の経文だった。

 ところで、前ページの道場観のルビは宮沢賢治(一八九六〜一九三三年)が友人あての手紙(書簡389)に書いているもので、そのように唱えたのだろう。賢治は法華経を信奉した作家で、『雨ニモマケズ手帳』に「筆ヲトルヤマツ道場観奉請ヲ行ヒ 所縁仏意ニ契フヲ念ジ 然ル後ニ全力之ニ従フベシ」というメモを記している。童話や詩を書く前にまず道場観を唱え、その作品が仏意(如来の心)にかなうものであるように念じたのだ。

 宮沢賢治は昭和八年に三十七歳の若さで病没した。その後、賢治の旅行かばんの中から「雨ニモマケズ」が書かれていることから『雨ニモマケズ手帳』とよばれる手帳が見つかった。

 そのかばんには、父母と弟妹あての二通の手紙もあった。日付は昭和六年の九月二十一日、北上山地の石灰石製品の販路を広げるために上京し、高熱を発して倒れこんだ旅館で書いたものだ。それは「今生で万分の一もついにお返しできませんでしたご恩はきっと次の生又その次の生でご報じいたしたいとそれのみを念願いたします」(父母あて)等と書かれた遺書だった。その時期の手帳に記された「雨ニモマケズ」も、もしも来世があるなら「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という願いをあらわし、続いて「南無妙法蓮華経」の題目がしたためられている。
 そして、その手帳の鉛筆差しに押し込まれた紙に次の短歌が書かれていた。

  塵点の劫をし過ぎていましこの 妙のみ法にあひまつりしを

 過去の永遠の時を過ぎて今ようやく「この妙のみ法」、すなわち法華経に出会うことができた。今生は満足なこともできず、もはやこれまでだとしても、「すべてさびしさと悲傷とを焚いて ひとは透明な軌道をすすむ」(詩「小岩井農場」)のだし、「善逝の示された光の道」(童話「雁の童子」)を行くのであれば、「みんなのほんとうのさいわいをさがしに行く」(童話「銀河鉄道の夜」)ことだってできるはずである。

 こうした賢治の言葉の意味するところは、長い歴史のなかでつちかわれた感覚が大きく失われた今では、たいへんわかりにくくなってしまった。辞書をひくと「塵点劫」という言葉の意味は書かれているけれど、「世界をすりつぶして塵にして……」といった説明にかえって戸惑いが深まってしまう。しかし、本書をここまで読んでくださった方には、よくわかることではないだろうか。


hokekyo_317.jpg「雨ニモマケズ」末尾(『全品現代語訳 法華経』より)

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