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宮沢賢治と法華経2 

『全品現代語訳 法華経』で3か所で宮沢賢治について触れた。その1は「道場観と宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、次に[第二十六章]神呪妙法蓮華経陀羅尼品第二十六
[コラム]陀羅尼と祈り


全品法華経大 『全品現代語訳 法華経』

 宮沢賢治に毘沙門天の陀羅尼を詠みこんだ詩があり、陀羅尼の本質的なところを表しているので紹介しておきたい。

  祭日〔二〕 文語詩未定稿

 アナロナビクナビ 睡たく桐咲きて
 峡(かい)に瘧(おこり)のやまひつたはる

 ナビクナビアリナリ 赤き幡(はた)もちて
 草の峠を越ゆる母たち

 ナリトナリアナロ 御堂(みどう)のうすあかり
 毘沙門像に味噌たてまつる

 アナロナビクナビ 踏まるゝ天の邪鬼
 四方につゝどり鳴きどよむなり 

 この詩の「御堂」は岩手県花巻市の成島毘沙門堂であると推定されている。その毘沙門像は平安時代の作と伝える重要文化財で、この詩の「御堂」も古いものであると思われる。古木の森に堂は神さび、晴れた日でも堂内は暗い。そんな仏堂であろう。

 その毘沙門堂の祭礼の日、おりから峡(谷間)の村には瘧(熱病)がはやっていた。病気の子を悲しむ母たちは陀羅尼を唱えながら峠を越え、毘沙門天に供物の味噌を供える。

 この詩は毘沙門天の陀羅尼「アリ・ナリ・トナリ・アナロ・ナビ・クナビ」の中途から始まり、一部が重なりながら四句目で一巡する。母たちはくりかえし唱えているのだろう。そして、古びた暗い堂内には灯明に照らされて、遠い祖先から伝えられ、人の一生を超えたものがある。

 伝統の宗教は、信じるか信じないかの二者択一のレベルにあるものではない。初詣や寺社の縁日に多い受験合格や家内安全祈願は、特に信仰があるから、そうするというわけのものではないように、陀羅尼には仏や神々の力がこもるといっても、それを頭から信じている人は、あまりいないであろう。しかし、桐の花が咲く睡たげな初夏でも人里に病は伝わり、人は苦しみを避けることはできない。だから、人は祈る。たとえ医師の治療を受けていても、重い病気であれば神仏に祈るのが通常の人の心である。

 この詩にある瘧は童病ともいい、激しい熱発に苦しむ子をみる親はつらい。といって、医者にもみせずに祈願するというのでは、狂信の世界に陥る。賢治の時代の農村の医療は貧しいものだったとはいえ、熱さましの置き薬ぐらいはあっただろう。土地に伝わる民間療法もあっただろう。母たちは精一杯の手当をしたうえで、おりから祭礼の毘沙門堂に草の峠を越えて行くのであり、そこに切々たる思いがある。「草の峠」は苦しみ多い人生の山谷を暗示し、毘沙門天の幡でも持っていなければ越えられないことを感じさせる。

 しかし母たちは、打ちひしがれているのではない。この詩は生きることの哀愁をたたえているが、反面、若やぐ初夏を歌う。カタカナ表記の陀羅尼が軽快に音を刻み、結語の「四方につゝどり鳴きどよむなり」は、ホトトギス科のツツドリが鳴く若葉の候の自然のなかに全体を包み、病苦をも乗り越えていく健気な人生を、母たちが生きていることを示している。

 伝統の祭礼は、そういう力強いものであった。祭礼においては、信じるとか信じないというレベルを超えて、神や仏と呼ばれる大きなものと人は出会う。それを祖先とか祖霊と呼んでもよい。また祭礼には、流れゆく日常に区切りをつけて新しく時を再生する機能があり、そこから生きる力が引き出される。もし寺も神社も祭礼もなければ、人生はひどく乾いたものになってしまうだろうし、そもそもそんな社会はありえない。

 岩波文庫『法華経』(坂本幸男・岩本裕訳・改版一九七六年)の解説によれば、そもそも陀羅尼は神々の名または異名の呼びかけの語形で記されたものだという。とすれば、祝詞または神楽のような奉納劇で唱えられたものであろう。法華経のなかで陀羅尼品はもっとも解釈の難しい部分であるが、それは思想的に陀羅尼を理解しようとするからであって、種々の演目の神楽を次々に演じる祭礼のような場面と考えれば、躍動する人の心が伝わってくる。おそらく、大勢で陀羅尼を唱える法会を背景として陀羅尼品が成立したのだろう。


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